「ネガティブを治したい」その発想のままではお先真っ暗かもしれません

おそらくこの記事にたどり着いた方は、

どんなにポジティブな曲を聴いたとしても、

どんなにポジティブシンキングをしたとしても無理だった人ではないでしょうか?

 

もしそうなんだとしたら、この記事は役に立つと思います。

そういうタイプの人はポジティブになろうとしてもむしろ逆効果です。

そのままだとずっと自分を責め続けることになりかねません。

 

実際、僕自身ももともとは人間自体が嫌いで、生きてることに意味を感じないくらいの悲観主義だったのでわかります。

もはや厭世主義(えんせいしゅぎ)と言っても過言じゃないくらいでした。

 

でも、今ではどんな辛い場面でもポジティブなものの見方ができるし、

その能力のおかげで、文字通り精神崩壊した知人を救うことができました。

(本当に精神崩壊した人を見たことがある人はなかなかいないと思いますが、こっちの心まで締め付けられるくらいの極限状態です。顔をくしゃくしゃにして笑いながら泣き叫んで頭を壁に打ち付けてる状態でした。)

 

 

この記事では、ついネガティブなことばかり考えてしまって自分を責めてばかりだった昔の自分に向けて書くつもりで書きます。

目標としては、この記事だけで多くの人が救われるのが目標です。

 

前置きが長くなったので早速始めます

ネガティブな人とポジティブな人は根本的に異なる

もはや脳回路レベルで異なると思われます。

 

これは経験からも分かると思います。

いかにポジティブになろうとしても、結局ネガティブな発想をしてしまった。

だからこそこの記事にたどり着いたのではないですか?

 

科学的に言えば、「防衛的悲観主義」という概念があります。

防衛的悲観主義とは、悲観主義ではあるものの、
その不安をモチベーションに変えることで、高い成績を維持している人たちです。

つまり、どんなにネガティブだったとしても発想次第で人生が好転するということです。

 

なので、ポジティブにはポジティブの生き方があるし、

逆に、ネガティブにはネガティブなりの生き方があるんです。

まずはここをしっかり念頭に置いておく必要があります。

「ネガティブを治す」という発想自体がもうアウト

と、考えていくと、「ネガティブを治す」という発想自体がもうアウトだということに気づきます。

 

だって、もうどうあがいたってネガティブな思考はしてしまうわけですからね。

無理にポジティブシンキングしようとしたって、ネガティブな思考が頭をよぎります。

そしてそのたびに自己嫌悪することになる。

 

改善策はただ1つです。

僕らネガティブの本当にやるべきことは、

ネガティブな思考をしないようにすることではなく

ネガティブな思考をしてしまったときに、同時にポジティブなものの見方”も”できるようにすることです。

 

言い換えれば、ネガティブな思考をしてしまった時に、それをポジティブな見方に変換するスキルを磨くのが大事ということです。

 

これは僕らネガティブだけの特権です。

僕らはネガティブなものの見方も痛いほどよく分かるし、それと同時にポジティブなものの見方”も”できる。

 

しっくりこないと思うので例をたくさん挙げてみます。

どれか一つでもしっくり来ていただけたら嬉しいです。

 

例1

「あぁ、勉強しなきゃいけないのは分かってるのにまた今日1日何もできなかった……..。

いや、でも3ページは進めることができた。この調子で明日は5ページでも良いからやれば少しずつ成長していける。」

 

例2

「また人に話しかけられた時に不安がこみあげてきてきょどっちゃった……。ほんと自分はクソだな。

でも、今こんなに悔やんでるってことは、それだけ言おうと頑張ったってことだから、

もう少し話す練習して明日もう少し頑張ればいけるかもしれない…!」

 

例3

「まぁどうせどう頑張ったところで僕にはできっこないか。

いや。でも、仮にできなかったとしても、ここで一つでも何かしらの能力を習得できるならそれだけでもやる価値はあるな。

その過程でなんやかんや成功する可能性だってあるし、成功しなくともその過程で何かしらの新たな活路があるかもしれないし?」

 

例4

「また怒られた……。ほんとゴミだな、自分。

はぁ。でも、、、怒られたことを改善していけばいずれは怒られるどころか褒められるよね、きっと。

何とか頑張ってみるか…!」

 

などです。

なかなか良い例が思いつかないのはなんやかんや僕もまだまだなのかもしれませんね。

でも昔と比べたら100倍成長できてるからノープロブレムですけどね、、、

的な感じです(・∀・)ドヤ

 

あと足りないことは一つだけ

この思考法を身に着けたとしてもまだ無理が生じます。

一つの小さな無理が重なっていくと最終的にそれが爆発して精神崩壊とかになっていきます。

 

じゃあ、あと何が足りないんでしょうか。

 

それは、コミュニケーションです。

コミュニケーションと言っても普通の会話とかというよりも、特に自分に対する”肯定”が必要です。

 

例えばさっきの例4を見てみましょう。

例4
「また怒られた……。ほんとゴミだな、自分。
はぁ。でも、、、起こられたことを改善していけばいずれは起こられるどころか褒められるよね、きっと。何とか頑張ってみるか…!」

例えばこの人がこの先頑張ったとしてもまた怒られ、また頑張ったけど怒られ・・・と続いていったら多分この人はうつ病になりますよね。

でもそこに、

「君は、結構ミスしちゃうけど、でもどんなに怒られても改善する努力をすることができるっての’が’ほんとにすごいと思う。」

みたいなことを誰かが言ってくれたら?
きっとこの人は前よりももっとしっかり前を向けるでしょう。

 

なので、信頼できる友人や同僚、恋人がいると心強いです。

それだけで人生勝ち組とも言えそうなくらいだと僕は思ってます

(ちなみに、”は”じゃなくて”が”にするのも小さなことだけど大事だと思います)

 

 

ところで、よく愚痴とか文句ばかり漏らしてる人が周りにいると思いますが、僕はあの人たちも悪い人ではないと思います。

肯定してくれる人が一人もいないから、外にぶつけるしかなくなっているんです。

あの人たちがそのまま誰にも肯定されることがないまま愚痴や文句を封じられたとしたら、きっとうつ病とかになってしまうと思います。

 

それくらい現代には肯定が足りていないと感じます。

ほんの小さな誉め言葉でもいいと僕は思います。

自分が誰かに小さいことでも肯定してあげれば、周り周って自分にも肯定が返ってくるはずです。

 

「情けは人のためならず」とはよく言ったものです。

give&takeではなくgive&giveしていれば、いずれ自分にもgiveが返ってくるという意味のことわざです。

奪い取る(take)わけでも取引をしてるわけでもありません。

そこにあるのは善意のみ、という素晴らしい状態ですね。

まとめ

今回言いたかったことをまとめると以下のような感じです

  • ネガティブにはネガティブなりの生き方がある。
  • ネガティブ思考を避けるのではなく、ポジティブ思考”も”同時に考えられるように特訓する。
  • 信頼できる人を一人でも作る(どうしてもいないなら僕で良ければ相談に乗りますしね)
  • 身の回りの人を肯定してあげる。

 

この記事を書くのに2時間くらいかかってしまいましたが、これが誰かの心に響くなら安いものだなと思ってたりします。

もし何かしら響いて何かしらの変化があったらコメントで教えてください(´▽`*)

では、凪野(なぎの)でした!

 

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